横浜みなとみらい21
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この項目では、横浜市の西区と中区にまたがる再開発地区について説明しています。西区の町名については「みなとみらい」をご覧ください。

横浜みなとみらい21
横浜市の整備・開発地区

北仲通地区から見た横浜みなとみらい21地区(2021年)
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度27分44.14秒 東経139度37分56.06秒 / 北緯35.4622611度 東経139.6322389度 / 35.4622611; 139.6322389
日本
都道府県 神奈川県
市町村 横浜市
西区中区
面積[1]
 ? 合計1.86 km2
人口
 ? 合計10,000人
 ? 密度5,400人/km2
市外局番045(横浜MA[2]
事業所数1,820社[1]
来街者数8,340万人[1]
市税収入170億円[1]
ウェブサイトminatomirai21.com

横浜みなとみらい21(よこはまみなとみらい21、Minato Mirai 21)は、神奈川県横浜市西区中区にまたがり[注 1]横浜港に面している再開発地域である。また、1983年昭和58年)度から現在にかけて整備が進められている計画都市である。都市景観100選受賞地区。略称は「みなとみらい」、「みなとみらい21」、「MM21」など。

1989年平成元年)の横浜博覧会 (YES'89) 以降、当該地区の開発が本格化し[3]首都圏新都心として、さいたま新都心さいたま市)と幕張新都心千葉市)に並び重点的に整備された[4]。当地区全域は、横浜市における都心(ツインコア)の一つである横浜都心に指定されている[5]みなとみらいと富士山の夕景(2007年2月)みなとみらいの夜景(2014年12月)
概要
事業計画と着工までの経緯

1980年代に再開発が行われる以前、当地には三菱重工業横浜造船所国鉄高島線貨物支線)の東横浜駅および高島駅・高島ヤード(操車場)高島埠頭新港埠頭などの広大な港湾・業務関連施設が広がっており[6][7][8]、横浜市の中心部に位置しているにもかかわらず一般の観光客が気軽に立ち寄れるような場所ではなかった。そのため、巨大ターミナル駅で市内随一の繁華街である横浜駅一帯(西区)と、横浜港開港以来の中心市街地である関内中区)の2つの横浜都心(ツインコア)は長らく分断された状態が続いていた。そういった経緯から、それまでの港湾・業務施設の機能を他所に移転させ、横浜都心部の一体化と都市機能の強化を目指したウォーターフロント都市再開発として計画・建設された。

飛鳥田一雄が横浜市長に当選した1963年当時、「横浜の五重苦[9]」と呼ばれた関東大震災昭和恐慌太平洋戦争による横浜大空襲GHQによる占領と市内都心部の接収[注 2]、および人口急増によるスプロール現象を克服することが地域としての大きな課題となっていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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